
↑佐多岬から麓の町までを送って頂いた旅行者の方々と。
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佐多岬から街までの交通の便がかなり悪く立ち往生してしまうかと思われましたが、前日に何度かすれ違った旅行者の方にお車で30km離れた根占町まで送っていただき、根占町からは対岸の薩摩半島までをフェリーで移動。
その後、JRで博多まで移動して一泊。
元旦からは仕事なので帰りの道中は新幹線で東京までを一直線に向かっています。
まずはこのひと月間、本Blogを通してこの挑戦を温かく見守り続けて下さった全国の皆様へ心からのお礼を申し上げます。
出発前にも書きましたが、体裁を取り繕おうと思えばいくらでも誤魔化せてしまう『個人挑戦』という形態で挑んだこのレースの中で、なんとか自分の中でのちっぽけなルールを守りぬくことが出来たのはこのBlogや各地での新聞記事を通してご存知いただいた本企画を最後まで見守って下さった方々、そしてこの企画に関わっていただいた全ての方々のお陰だと思っています。
本当に本当にどうもありがとうございました。
最後に。
この旅を通して自分の人生について想った下記の三点をこの旅のまとめ及び2008年への抱負として書かせていただき、本企画を締め括らせていただこうと思います。
皆さん来年もよいお年を〜☆☆☆
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【走ることの意味について】
過去に挑戦した二度の『サハラマラソン』や『ギリシャ・スパルタスロン』、『24時間走』、『萩往環250km』、『日本横断「川の道」522km』、『北海道縦断往復「トランス・エゾ」1088km』、そしてこの『東京→鹿児島1500kmジングルベルランニング』。
“過酷”と呼ばれるこれらのレースへ挑み続けたのは何故だろう?
『大陸横断』という目標のため。もちろんそれもあった。
自分への挑戦。もちろんそれもあった。
自分がどこまで行けるのかを試してみたかった。
じゃあそもそもが何故そんな大きな目標を持たなければいけなかったのか?
何故 自分へ挑戦し続けなければならなかったのか?
劣等感。
父に関するコンプレックス。
本当のところ答えなんてこんなちっぽけなもんだろう。
許すことのできない自分自身を認めさせたかっただけだ。
けど客観的にそんな感情がどれほどガキっぽいかって事ぐらいこの歳になればいい加減気付く。
だからいまの自分には「走ることは得意だ」とは言えても「走ることが好きだ」とは胸を張って言えない。
今回の旅では14ヶ所の施設へ立ち寄り約700人の子供たちに出逢ってきた。
8月に行った前回の企画や、そもそもこの活動のきっかけとなったJr.ランニングクラブの子供たちへの一番最初の「サハラマラソン体験談」を含めると僕はこの9ヶ月間で1000人以上の子供たちと出逢い、一人一人に砂漠の砂を手渡してきた。
たくさんの子供たちとの出逢いを通してわかった自分自身の本当の声。
僕は子供たちが好きだ。
もしかしたらそれはまだ単に僕が幼いというだけなのかもしれない。
「子供」というものをまだ表面でしか見れていないから言えるだけなのかもしれない。
けど言える。これだけは胸を張っていま言える。
僕は子供たちが好きだ。
感情は自分の中でだけ下手な理屈よりもずっと確実な真実だ。
そして1000人以上の子供たちと出逢ってきた事でシンプルな自分自身の人生への欲求がどこにあるのかの明確な答えを出せた。
僕は父親になりたい。
自分の父のようなろくでなしではなくて
温かくて強くて優しい
普通の父親になりたい。
そのためにまずはどう動いていくべきなのか?
僕は2008年をそんな方向へ自分を変えていく一年にしたい。
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【走ることの意義について】
果てしない道程を走りきる為に重要だったのは遥か先のゴールを見据えることでは全然なくて、目の前の単調な毎日を当たり前に黙々と走り続けることだった。
焦る事なく奢る事なく自分のペースで休みながら少しずつ少しずつ進んでいくことだった。
「次のコンビニまで着いたらプリン食べよ」とか
「あと一日がんばれば明日はジャンプの発売日だ」とか
自分の中でのちっさな幸せ励みにがんばってみたりして。
上り坂は足元に視線を落として一歩一歩。
どんな坂にも終わりは必ずあっててっぺんは苦しんだ分だけの達成感と素晴らしい景観が待っていた。
下り坂には自制が必要だった。
重力に背中押されて進める油断が後になって疲労として押し寄せる。
そしてなにより下りきったらまた上ってゆくのだから。
雨の冷たさは立ち止まらない限りは障害ではなく、風は敵にも味方にもなった。
闇夜の怖れは潜在的な自分の力を引き出しもするけれど足元は見えない。
遠くに見える街の光はたとえそれがいかがわしい店のネオンの灯りだったとしても遠くの星空よりも身近な温かさと希望を感じた。
これらは全部ただ僕が走りながら実感したことだけれどももしかしたら「走る」を「生きる」と置き換えても通用する真理なのかもしれない。
マラソンがもし本当によく言う「人生の縮図」ってやつだとしたらこの1500kmっぽっちはこれからも続く前途多難な人生へ向けた練習問題っくらいのもんだろう。
せめてここから受け取れるなんかイイ感じの教訓の一個くらいを実際の人生でも活かしてゆきたいもんだよ。
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【走ることの可能性について】
「走ること」
それはどれほどの記録を出すことができてもどれほどの距離を走ることができても結局はただの自己満足に過ぎないんじゃないか?
とずっと想っていた。
けれど走ることを「目的」としてではなくて、「手段」として社会と向き合っていくことができれえば普通の人より少しだけ長い距離を走れる僕たちのようなRunnerには今とはまったく違った可能性があるんじゃないか?
と、今年一年間の活動を通して少しずつ感じ始めている。
今回の挑戦は終わりでも始まりでもなく、あくまで道の途中。
自分の頭の中にある構想をこれからも少しずつ模索し、周りへ配信してゆきながら共感してくれる仲間を集め、これまでのRunnerが創れなかったものを残りの四半世紀で築いてゆきたい。
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↑なんとか宿泊可能なホテルへ到着。
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僕の29日 佐多岬・到着を楽しみに見守っていただいていた方々。
ごめんなさい。
29日中にゴールまで辿り着けませんでした。
その理由は佐多岬までの最後の8kmの道程。
元々は歩行者の立入禁止だったこの道を最近 開放されるようになった。と聞いていたので夜中でも走っていけるんだと思っていたのですが、夕方5時でゲートが閉まってしまうらしく翌朝の8時までは侵入禁止になっているようでした。
もちろん不法侵入をがんばって門を乗り越えれば今日中に走りきれるとは思うのですが…
こんな暗い所これ以上走るの怖いんだもん。
と、いうことで無理せず明日に持ち越すことに決めました。
せっかく見守っていただいている方々に対して、ご期待に添えず大変申し訳ありません。
深くお詫び申し上げます。
ぺこり。
m(_ _)m
それにしてもすっかり疲れ果てて満足に走ることの出来ない身体だったのに…
森に囲まれた真っ暗闇の道路を最後の10kmはキロ5分ペースで走ってしまえた…
『恐怖』って人の力をすごく引き出すんだなぁ〜。
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20時23分・佐多へ到着。
現れたのは…。
『佐多岬まであと18km』
の標識。
ぐふっ。
もう脚は棒だよ。
でも走るしかない。
海沿いから外れ、アップダウンのある内陸部。
完全に闇!
一台も車に擦れ違わなくなった。
人にも逢わない。
当たり前だ。
こんな時間にこんなヒト気のない所で誰かと出会いでもしたら確実に悲鳴をあげてしまう。
既にこんな時間帯にこんな所を走ってる僕自身がドライバーから見たら心霊的存在。
おまけにヘッドライトの届かない数メートル隣の林からガサゴソと何かいる物音。
道路標識『動物注意』
なんか最後の最後でとんでもない体験してる。今。
はっきり言って、怖いよ!
(12/29.20:43)
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